90日で転職を成功させるロードマップ【自己紹介付き】

はじめまして!現役キャリアアドバイザーの裕人です!

僕は今でこそ、キャリアアドバイザーとして多くの方の転職相談にお答えしている身ですが、

初めから仕事や人生の正しい選び方ができていたのかというと、全くそんなことはありません。

むしろ人一倍、あらゆる場面で選択を誤ってきたと思います。

温室育ちの一人っ子

家族構成は、父、母、そして一人息子の僕。

父は仕事が忙しく、僕が小学校に上がってしばらくした頃からはずっと単身赴任。

たまに会っても難しい顔をしていることが多く、特に中学受験の頃は厳しく叱られたものです。

父が途中から単身赴任していたので、僕がずっと一緒に暮らしてきたのは母でした。

厳しい父とは違って割と楽天的な母ですが、少し過保護というか過干渉な部分もあったような。

そんな両親の厳しさや気配りを疎ましく思った時期もありますが、

どれも僕のためを思う気持ちからのものだと理解してからは、素直にありがたいと思っています。

言われるがまま、中学受験

それまでこれといって変わったところのない少年時代を送っていた僕ですが、

小学5年生の頃、父に言われるがまま、中学受験対策に特化した塾に通うことに。

これまで勉強なんて学校の宿題をとりあえずこなす程度しかしてなかったし、成績もまさに普通ぐらい。

ましてや、勉強が楽しいなんて1度も思ったことはありませんでした。

そんな僕も、塾に通い始めた途端に勉強が楽しくなり、みるみるうちに成績が伸びていって……!

なんてことは、ありませんでした。

中学受験の勉強は今までの100倍難しいし、算数にいたっては、模試で10点を取るレベルです。

相変わらず勉強は楽しくないし、塾でも家でも勉強漬け、怒られてばかりの中学受験時代でしたが、

無事に、中高一貫の私立中学に合格しました。

勉強に目覚めた中学・高校時代

中学入学後も勉強は嫌いでしたが、中学2年になる頃、転機が訪れます。

数学の先生が、問題を解いたノートを出した回数に応じて成績に加点する、との試みを始めたのです。

数学の成績が悪いことに危機感を覚えていた僕は、成績の底上げになれば、という思いでノートに問題を解いていくように。

そしてしばらくすると、あれだけ意味不明だった因数分解が、簡単に解けるようになっていたのです。

この体験以来、僕は徐々に勉強にのめり込んでいきます。

問題を解く、校内の成績順位を上げることが、まるでゲームをするような感覚でした。

こうして勉強に自信がついた頃、高校2年の頃、

そろそろ卒業後の進路について考えるべき時期が来ます。

元々ぼんやりと科学に興味があったので理系を選択したはいいものの、

かと言って特別興味のある分野や行きたい大学も決まっていませんでした。

勉強は割と好きだったし、特に友達に勉強を教えるのが好きだったので、

もしやりたいことがあるとすれば教職とかかなーって感じでぼんやり考えていました。

そんなあるとき、父に将来について聞かれて「教職とか気になってるかも」と答えたところ、帰ってきたのは猛反対の声。

「教職なんてどの大学でもなれる。しかも激務な割に稼げない。なんのためにお前をここまで育ててきたと思ってるんだ。」

と。

結局、当時の僕には進路なんて自分じゃ何もわからなくて、とにかく目先の大学受験を突破することだけを考えるしかありませんでした。

親や世間の声ばかりを気にして、自分自身について自分の頭で深く考えてこなかった男の末路

「偏差値の高い大学に入れば、大手の会社に入れる!」

「大手の会社に入れば、人生は安泰だ!」

昔の僕は、このような親や学校、世間の謳う価値観を刷り込まれ、

中学受験と大学受験の受験戦争に青春をささげ、

就活でも、大手の内定しか眼中にないリクルートスーツを着た嘘つきロボットのようになっていました。

その結果、

元々特に行きたい大学や学びたい学問も決まっていなかったこともあり、

とりあえず地元の難関国立大学の理系学部に進学。

就活でも同様に、特に興味のある業界や行きたい企業もなかったので、

ほとんどネットの「就職先人気ランキング」や、自分の大学の卒業生の主な就職先、

そして親の意見に引っ張られるようにして就職先を決めました。


大学合格時も入社時も、両親や親族、周りの友人たちからは、それは尊敬を集めたものです。

特に、僕の大学は地元じゃほとんど神格化されていたので、大学合格時の祖父の驚きようはすごかったですね。

お酒の勢いもあってか、「お前は一族の誇りだ!」って、異様なテンションで背中をバシバシと叩かれたものです。笑


そんなわけで、僕は「難関国立大学→大手広告代理店」という「輝かしいキャリア」を送っていました。

「学歴がなくても、大手じゃなくても、仕事で成功してなくても、幸せな人はいっぱいいる」

「大事なのは、お金じゃない」

そんな言葉ももちろん何度も耳にしました。

確かにそうだ、とも思っていました。

ただ、今だからこそ白状しますが、同時に心の奥底では、

「そんなの『負け組』が自分を慰めるためのキレイゴトでしかない」

「なんだかんだ言っても、結局は大手、結局はカネ」

「『勝ち組』が言ってたとしても、そんなの周りから反感を買わないためのキレイゴトだ」

などとも思っていました。

憧れの東京、希望の新社会人生活の幕開け

大学を無事卒業し、新たな春がやってきます

これまで青春を犠牲に、遊んでいる同級生を尻目に勉強を頑張って、

就活でも、必死に「優秀で意欲的な学生」を演じ切って、

これまでずっと苦しいことを我慢してきたのがやっと報われた気分です。

なんてったって憧れの東京、キラキラの大手広告代理店で、希望に満ち溢れた社会人生活の幕開けなんですから。

一転、絶望の淵へ

まあ、そんな高揚感も、3ヶ月も経たないうちに消え去ってしまうんですが。

確かにオフィスは大都会の高層ビル群の中にあり、会社の雰囲気もイケイケで勢いがありました。

飲み会も、学生時代のサークルの飲み会よりも盛り上がってて楽しかったです。

ただ、楽しかったのもはじめだけ。

段々と会社が本性を表してきたのか、

突然、無茶なノルマを課されて毎日夜遅くまでの残業は当たり前になり、終電帰りも珍しくありません。

終電がないので、タクシーで帰ったことも何度かあったような……。

楽しかった飲み会も、気付けば上司のご機嫌ばかりうかがっていて、

急な無茶振りを要求されたかと思うと、つまらないと貶されて。

もちろん、上司に呼ばれたからには欠席するなどありえません。

会社でも、上司に仕事の質問をしようとすると、ため息混じりに

「それぐらい自分で考えらんないの?」と、いかにもだるそうに言われるように。

その一方で数日後には、

「あのさあ、わからないんだったら早く聞こうよ!」と。

挙げ句の果てに、

「お前使えないけどな、仕事任してやるよ笑」と言って、上司のために飲み物を買いにパシられたり。

代金?もちろん自腹です。

いわゆる「パワハラ」というやつですね。

その上司は僕を詰めるときに、イスにふんぞり返りながらガンッガンッと机を蹴るんですが、

その音が聞こえ始めると同時に動悸がしてきて、頭にカーッと血が昇ったかと思うと、次の瞬間には頭の中がボーッとしてくるようになってました。

机を蹴る音は、ほとんどトラウマでしたね。

また、仕事の愚痴をこぼそうにも、家族や友達からは

「大手だから良いじゃないか」

「でも、若いときからいっぱいお金がもらえるのはすごいことだよ」

あるいは

「せっかく大企業に入ったんだから、これくらいで甘えるな」

といった反応ばかりで、なかなか僕の苦しさはわかってもらえません。

長時間労働に上司のパワハラ、そして自分の苦しみをわかってくれる人がいないこと。

これらだけでもかなり心身ともに消耗していましたが、

「自分の存在意義がわからない」

これが、最後に僕の心を折った要因です。

僕は広告代理店時代、営業の仕事をしていました。

大体どんな業務をしていたのかというと、広告の予算をクライアントから引き出すようなことです。

大学時代にずっと塾講師のバイトをしていて、主にその関係で、自分は

「人に何かをわかりやすく説明すること」

「人と話をすること」

が好き・得意なんだと思っていました。

それが生かせそうだな、と思ったので、業種は営業が向いてるんじゃないかと考えました。

入社時の面接でも面接官からの印象は悪くなかったはずですし、

入社した初めの頃も、すぐに周りとも馴染めていたと思います。

「真面目そうだし、コミュ力もありそうだから期待してるよ」と言われたこともありますし。

ただ、蓋を開けてみると、同期の中で営業成績は最下位。

なんなら、退職するまでずっと最下位でした。

成績がここまで悪いことはもちろんかなりショックでしたが、それ以上に、

クライアントに無理を言うのが心苦しくて仕方ありませんでした。

もちろん、会社は利益を出さなければいけないので、予算を引き出すことは必要です。

ただ、自分の会社の都合で、クライアントに無理を強いることがどうしても申し訳ないというか、悪いことをしているというか。

そんな僕を尻目に、上司や同期はひたすら数字を追い続けていたので、僕が成績最下位だったのも無理はないことだったかもしれません。

クライアントの浮かべる苦い顔と上司が机を蹴る音との板挟みで、胃がキリキリ痛む日が続きます。

夜遅くに、倒れ込むようにして真っ暗な部屋に帰ってきては、

「自分は一体なんのためにこんなことしてるんだろう」

そう思い悩む日も増えてきました。

何度も何度も「もう辞めたい」と頭の中で呟きますが、

その度に、内なる自分が

「金はどうするんだ」「生活は?」「これからの将来は?」と問いかけてきます。

その問いから逃げるように酒を飲み、気を失うように眠る日々。

確かに、お金は周りの同年代に比べると多くもらっていました。

しかし、お金の使い道は、酒や衝動的なネットショッピングばかりで、

仕事で溜まったストレスを解消するためのものばかり。

今思えば、自分から傷付きに行き、それで得たお金で傷を癒すだけの無限ループなんて、どんなに虚しいものなんだ、と思います。

健康を考えれば、その間ずっと寝てた方がマシな気さえします。


「とにかく3年は続けないとダメ」

「石の上にも三年」

世間のそんな声を信じて、なんとか入社して3年を耐え抜きました。


ところが、ある日。

いつものように出勤しようと、朝目覚めたときです。

あれ?ベッドから、身体が、起こせない……?

まさに金縛りにあったように、身体に力が入らない、力を入れているのに手も足も少ししか上がらない。

そして、目からは勝手に涙が流れ落ちていきます。

なんとか寝返りを打ち、混乱の中、会社に休む旨を伝えます。

休めばまた上司から何を言われるかわからない、という思いも当然よぎりますが、

それを完全にかき消すほどに、「これはマズい」と本能が警鐘を鳴らしていました。

それ以来、しばらく心療内科に通うことになりました。

「心の病」、恐ろしさはなんとなく知ってはいたものの、まさか自分が当事者になってしまうなんて思っていませんでした。

「人生のどん底」から這い上げれたきっかけ

そんなわけで一度は「絶望の淵」に立たされた僕ですが、

今はこうしてキャリアアドバイザーとして、日々精力的に活動できています。

業種は違えど、これまであれだけ苦しんだ「仕事」が、

「面白くて仕方がない、楽しくて仕方がない」と感じるレベルにまで思えているんです。

しかも、これだけ楽しみながらも、前職よりも多くのお金もいただいています。

それは心療内科の先生のおかげ、特に、先生が勧めてくれた「コーチング」のおかげです。

そして、そのコーチングの一環で自己分析をしっかりとやったからなんです。

次回予告


そして最後に!

あなたのことを知りたいのでアンケートに答えてください!

1、あなたの年齢

2、現在の職業

3、転職したい時期

この3つを僕に直接LINEで送っていただけると嬉しいです!

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